街に自分の居場所がつくるのは今はすごく難しいけど楽しそう「マイパブリックとグランドレベル/田中元子」。
地元の愛知県一宮は喫茶文化の街で、モーニング発祥の地として有名です。
もともとは繊維産業が盛んだった時代に、打ち合わせをするのに糸や毛ぼこりが舞い織機の音がすごい工場ではなく、近所の喫茶店を使ったところからはじまり、そのうち朝ごはんを出すようになったのが始まりといわれています。
そしてそれは今でも続き、だいたいどの人も自分のお気に入りの喫茶店があって、特別な目的がなくても新聞をよみながらコーヒーをのんだり、近所の人通しで話し始めたりしています。
東京にいてもそういうお気に入りの喫茶店を見つけようとしてしまいます。そして今も10年以上通える近所の喫茶店が見つかったのはとても幸せなことだと思っています。
そんなときににわかに周りの人がすてきな喫茶店があると教えてくれたのが、墨田区の森下駅と両国駅の中間にある喫茶ランドリーでした。
そしてそのコンセプトにもある街中の1階であるグランドレベルをどういかすかというのにも興味があり、喫茶ランドリーの代表である田中元子さんの本をよみました。
だれもが自分のできることを表現して提供するマイパブリックが面白そう
普段の仕事は行動の対価としてお金を受け取る。というより受け取らないといけないという常識というか当たり前の考え方だったのですが、この本の前半部分のマイパブリックについての話は僕の中ではとても新鮮でした。
今副業時代といわれ、働き方改革の名の下に長く仕事をすることはいけないという風潮もあります。その根底には仕事とは受動的にさせられるものであるという考え方があり、自営業やフリーランス、企業経営者など能動的に仕事をしている人とのズレが発生しているかもしれません。
そのなかでマイパブリックという考え方は、お金の受け渡しや見返りを期待しない、させないことで全ての人が自分の興味関心と専門性のあるものを能動的に展開し活動することができる素晴らしい考え方だとおもいました。
そしてパーソナル屋台というテンプレートに落とし込むことでより多くの人が参加できるようになるんだと思いました。つくってみたいマイ屋台!
町中の1階グランドレベルを意図的に曖昧にすることでうまれる一体感
今は自分のクローズなプライベート空間と公共の場所は確実に分断されていて、昔みたいにやんちゃして遊んだり、河原で勝手にバーベキューもできなかったり、1人でも苦情があれば禁止する方向に向かってしまい、とても窮屈で不寛容な時代になってきてしまいました。
そんな中でこの本では公共な状況をみたせば、公共機関でなくても自分の考え方次第でマイパブリックとして公共性をもつことができるとしています。
公共である状況とは
=第三者との接触可能性がある(共有性)
=第三者にとって「自分の居場所」である(実践性)
=第三者どうしが互いの存在を許容し合える(関係性)
たしかに公共である状況にとって、お金の受け渡しは関係ありません。むしろ考え方だけだとおもいます。そういう意味では、喫茶店は考え方次第ではとても公共空間に近い性質があると思いました。
とはいえ全てを自由にしてしまうのは混乱を生みます。
どんなものでもルールの上になりたつほうがみんなが楽しくなるので、そのルールのつくりかたが重要かもしれません
良いグランドレベルをつくる基本
×「禁止」主導のルール
○「自由」主導のルール
自由をどこまで許容できるかが一番むずかしく、禁止する方が簡単です。
でもこの本を読み終えると、当たり前のように自由を許容し、さんかするすべてのひとが町中のグランドレベルで楽しいことを始めると、郊外の大型ショッピングセンターにいくよりも、街の中に飛び出して、シャッターの降りた商店街が楽しくなるかもしれません。最近は伝統的なお祭りだけでなく、ハンドメイドマーケットなどでもすごいひとが集まって盛り上がっているようなので、これから楽しいことが色々起こるといいなと思いました。
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